至誠

私たちは何を一番大切に生きるべきか

信頼関係

ある高い買い物をしようとする時、もちろん買い物自体の品質や価格、機能や付帯サービスなどが最も重要ですが、もう一つ重要なのは営業マンの姿勢です。
家を買うときも車を買うときも対応してくれる営業マンがどれくらい真剣か、信頼できる人かを見ます。
つい最近のことですが良い家を見つけました。
これはと思い不動産屋さんに問い合わせて見学と打ち合わせをしました。
見学時は、思い通りの家で気に入ったし、担当の営業マンもいろいろ説明してくれて良いなと思ったのですが、事務所に行って購入について打ち合わせていたら、やたらと金金と言うもんで嫌になってやめました。
いっそのことAIロボットが対応してくれる方が販売機会を失うリスクを減らせるんじゃないかこの会社はと思いました。
信頼とは信用して頼ることで、信頼されるには信用してもらえるようお客様との真心のこもった対話を通して誠実を伝えることです。
そういう意味でこの前はいい勉強をいたしました。
至誠

経営者と経営学者

コンサルタントが企業経営したところで成功するとは限らないとはよく聞くことです。
事実、私の知り合いのコンサルタントは長く続いた家業を潰しました。
家業に未来はないと見限りコンサルタント業に重きをおいていたのかもしれませんが笑い話にもなりません。
コンサルタントを行う際にはプライベートな話として伏せているようですが。
経営には机上の理論では通用しない現場感があります。
これは感情の動物である人間が多く介在する環境だからでしょう。
一方で経営学者は企業経営で起きる事象を法則性を持って理論づけようとします。
学者ですから情緒ではなく科学的に証明しようとするのは当然の行動です。
実際の経営の場でコンサルタント会社に入って貰えば少しは計量的な視点から意思決定がはかれるかもしれませんが、そんなのは大手企業の特別なプロジェクトのようなケースであって、普通の業務では自らの能力で行うものです。
ここで私が申し上げたいのは、私たちは一時の感情や思い込みに流されることなく、声の大きな人に影響されることなく、もっと客観的に状況分析と最終判断を行うべきではないだろうかということです。
アメリカで成功した経営者の名言をなるほどなるほどと感銘するのもいいですが、学者らが研究した論文や経営戦略本から学ぶことをしたほうが良いのではと思います。
経営者の勘や経営センスはもちろん大事ですが、不確実性が増す世の中だからこそ確率を高める作業が必要です。
至誠

従業員結集によるパワー

毎年総会なるものがあります。
ステークホルダーに経営状況を細かく説明してご意見をいただきご評価をいただき重要事項を決定する場です。
シナリオ通り進めばいいのですが直前まで準備し当日はなかなか緊張します。
言うならば経営陣の期末テストみたいなもんですから経営陣の仕事であって社員の皆さんには面倒をかけるものではないはずですが、関係社員も総出で対応します。
実は私はこのとき一番従業員が結集した時のパワーを感じるのです。
最近は価値観が多様化しておりひとりひとりの意思や思考や行動を重んじますが、総会はどういうわけか全員のベクトルが合うのです。
手前味噌かもしれませんが社外だけでなく社内からも後ろ指を指されるような経営をしていないということは理由の一つであると思います。
嘘も方便が一切無いとは言いませんが基本は「正直は一生の宝」が味方してくれています。
商いは吉相、世はあい持ちです。
至誠

熊子供と熊家長

最近本当に辛いニュースを多く聞きます。
虐待です。
テレビでも新聞でも見ていると辛くなり目を背けてしまいます。
なぜ小さな命に、しかも自分の子供にあんなことができるんだろう。
同棲の男が手をかけることも多いようです。
何が目的で同棲をするのか。
非難覚悟で言いますが、こんな男は捕まっても更生などするはずもない。
ハムラビ法典で飯を与えずタバコの火を押し当てればいい。
ここまで社会問題化してきたら論理的にやってはいけないことを自覚させるよりも、恣意的にやらせない環境を作るべきです。
大人は子供を大切に扱うもの、復刻版生類憐みの令を発令すればいいのです。
虐待ではありませんが、昨日ホテルのエレベーター内で腹立たしい現場に出くわしました。
私が22階からチェックアウトのために下りのエレベーターに乗ったところ、最上階のレストランで食事を済ませた中国人の夫婦と5~6歳の男の子とベビーカーに乗った赤ちゃんの4人連れが先に乗っていました。
恐らく12階の部屋に戻るのでしょう、12階のボタンが点灯していました。
私が乗った22階のドアが閉まるなり男の子は20階を押してドアが開くと降りて乗って、今度は18階を押して降りて乗ってを繰り返しました。
流石に2階目は親を睨んだところ、両親とも携帯に夢中で気付いているのか、知ってて野放しにしているのかわからない状況です。
次にその子は11階10階9階と次々にボタンを押していきました。
これには我慢がならず「君ダメだよ」と男の子の手を制止しました。
するとすかさず携帯に没頭していたはずの両親が睨んできました。
おまけに彼らは12階で降りるなり、父親が私に何か叫びました。
中国語なので意味は分かりませんが良い言葉ではないと思います。
これが熊子供と熊家長なんだと悟りました。
至誠

本当に憎らしいやつ

私のようなものが子供じみたことを言いますが、本当に憎らしいやつがいます。
徹底的に私に反発して、手下を巻き込んで、ある事ない事すべて大げさに周囲に触れ込むやつです。
彼は組織を破壊することを狙ってるのでしょうか。
偉くなりたいと思って故意に派閥闘争を作り出しているのでしょうか。
君子危うきに近寄らずで全く相手にしてませんが、仕事上一切かかわらないわけにもいかないし、大人のやることじゃあないなあと思いながらも大人向けに大人の対応をしています。
どこの世界でもこんなことがあるんです。
町内会やマンションの理事会でも合わない人同士でやめとけばいいのにやりあったりすることありますよね。
妙に突っかかるやつって一種の病気じゃないかと人格を疑います。
私は懐が深く理解力があると思われているようですが許せないことには断固向き合う性格です。
宣言しておきますが、今は皮を切らせて肉を切り肉を切らせて骨を切る、そして最後は、江戸の敵は長崎で打ちます。
至誠

コメンテーター

昨日の午前中のテレビ番組でDVの息子を手にかけた事件に対してコメンテーターが意見を述べていました。
気楽な稼業だと思ってしまうほど腹の立つコメントでした。
「あの行動には同情の声も聞くが人を殺すなどもってのほかだ。周囲に相談するなどもっと他に手があったはずだ。」ですと。
そんなの当たり前のことでしょ。
でも起きちゃったことについてもっと頭を使ったコメントしろって。
経済学者や科学者や医学者が日々研究していることをご披露いただけるのは教養として大変ありがたいが、なんでいるのかわからない人、特に芸能人が勘違い甚だしいことをメディアで話しているのを見るとついチャンネルを回してしまいます。
土曜や日曜はこんな番組ばっかりで本当に面白くありません。
自分たちの役割がなんたるかをわきまえているはずのメディアの皆さん、番組に多様性があるのは良いことですがちょっとは硬派な番組も作ってください。
全部が全部ワイドショーになってますよ。
私はそもそも勉強嫌い、その中でも本を読むのが大の嫌いで、それゆえテレビは大好きです。
でもこれでは流石の私でも呆れて新聞の時間に当てました。
低俗な番組を見るぐらいならば、哲学書にでも挑戦して「読書百遍義自ずから現る」を実践する方がよっぽとためになる苦痛かもしれません。
そんなこんなで大好きなテレビが消えた日でした。
至誠

雨や晴れや

天気が良いのは晴れです。
でも、「今日は良い天気だ」という人もいれば、「今日は天気だ」という人もいます。
絶対に前者が正しく後者は間違っていると思っていましたが、実は天気という言葉には単なる気象状態の意味と良い気象状態という意味があるようです。
つまりは、今日は天気だでもあっているということです。
息子の運動会で「赤チーム、白チームに抜かされました」とアナウンスがあり、おいおい「抜かれました」だろと思うことありました。
私の息子も抜かすや抜かされるを使うようになったので間違っていると指摘しているのですが、最近はアナウンサーでも抜かす抜かされるを使っています。
私が間違ってるのかなあ。
ある会議の議長に推挙されたときに「私のようなもの大変役不足ですが一生懸命務めさせていただきます」は大きな間違いで、この会議の議長など自分の身分からして軽すぎるという意味になってしまいます。
冬が終わりに近づき春を感じるころ日差しの柔らかな良い天気を「今日のような小春日和に」と言うのも大きな間違いで、小春日和は冬に入るころ、初冬にいつもより暖かく感じる日を小春日和と言います。
今時言葉遣いをうるさく言う人はいないかもしれませんが、いろいろ気になってしまうのは年を取って頑固爺に近づいているからでしょうか。
至誠